山南さんに学ぶ
今更説明するまでもなさそうだが、私はNHKの大河ドラマ「新選組!」のファンだ。さらに言えば、堺雅人演じる山南敬助、山南敬助を演じる堺雅人のファンだ。久しぶりに「この人とだったら駆け落ちしたい」という気分になれる人を見た気がする。私は何しろ、知的で文化的な人が好きなのだ。
その山南さんが8月22日、第33回の放送で、脱走の罪に問われ切腹した。数ヶ月前からこの回で切腹するのはわかっていたが、当日はゴルフコンペと山南さんの切腹で私は終日いっぱいいっぱいだった。切腹の放映は、AMKの有志の方に無理を言って山南祭を開催、彼の立派な切腹を一緒に見届けていただいた。自分では号泣するだろうと思っていたが、むしろショックのあまり体は硬直し、涙は一滴も流さなかったのだが、背後で「スンスン」という鼻をすする音が聞こえてきたので見てみると、番長ことHっとりさんとM口夫人のY子さんが号泣していたことを明記したい。(山南祭の模様は写真を参照。)
私も、最初に見たときは泣かなかったものの、その後ビデオで見るたびに涙腺弛緩度が高まり、泣きのポイントは増える一方だった。とりあえず絶対に泣けるポイントは、皆さんと同じ「気丈に振舞う明里との別れ」と、「目を潤ませながら切腹を見届ける隊士」である。その他、私がどうしても泣けるのは、八木邸を訪ねて来て山南さんに「一緒に連れて行って」と懇願する明里に「わがままを言うなぁっ!」と怒鳴る山南さんである。
山南さんは、京に戻されてからも、何度か逃げ出すチャンスがあった。彼を慕う隊士達は、あの手この手で彼を逃がそうとする。しかし彼は逃げなかった。近藤勇や永倉と原田がふすまを開けても、潔くそれを閉じた。ご覧になっていた人ならおわかりだと思うが、彼は自分が切腹することで隊内のもつれを解こうとした。自分が隊士に慕われ、敬われていたことを分かっていたからこそできた決断であろう。史実によれば、彼は脱走するときに、「捕まえてくれ」と言わんばかりに置手紙をしていったという。
最近、理不尽だと思うことが多い。理不尽さは世の常なので、「最近」ってことはないが、つまり、「妥協したくない『理不尽さ』」とでも言おうか。そういうことが多い。仕事をしている私からすれば、職場で納得のいかないことは尽きない。ただ、多くの場合はくだらないことなので大体無視している。しかし、最近は、聞き捨てならない、見て見ぬ振りをすべきでないことが多い。
「脱走したら切腹」という、山南さんが命をかけて守ろうとした新選組の規律。しかも彼がこの規律の草案に関わっていたことを考えると、これに則って死ぬことは究極的に皮肉な手段であった。
昨今の自分の身辺や立場を考えてみると、山南さんほど深刻ではないにしても、他人事ではない何かを感じた。そういう意味では、単なる山南ファンとしてだけではなく、今回のエピソードは個人的に大変教訓的なものであったと言えよう。今までにも、納得のいかないことには度々巻き込まれてきた。が、学生の頃はともかく、社会に出てからは自分が我慢すれば波風を立てなくて済むという思いで、敢えて何も言わなかったことが多い。「言わないこと、動かないこと」が「協調性」であると信じていたからだ。それが社会人としての美徳であるとも思っていた。特に目上の人には異議を唱えてはいけないという思いもあった。もちろん、何かにつけて文句をいうのもまたどうかとは思うし、場合によっては沈黙に価値がある。ただ、同時に、たとえ小さくても、革命を起こせる信念を持てる人間になりたいという思いが今、私の心に根ざしつつある。
私には山南さんの死自体を称えようという意図はない。いかなる理由があっても、結果としての「死」は称えるものではないと思っている。しかし、死をも恐れずに何かを守りたいという彼の心意気には脱帽だった。
今、世の中にはどのくらい彼のような大人がいるのだろう。
静かな、ある9月の夜に。
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